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美容ジャーナリスト 近藤須雅子さん 1

BEAUTY BIBBLE

京都出身の私としては、“スキンケア”は歯を磨く、とかそういったことと同じ、各家庭の“習慣”ですね。

The Day Spa (以下TDS):近藤さんに、いつもお会いするたび、輝く美しい素肌にほれぼれしてしまうのですが、その美しさの秘訣、具体的な日々の美容法、心がけていることなどをぜひ教えてください

近藤さん(以下敬称略):本当にいつもシンプルなケアしかしていないのですが・・・
“スキンケア”は歯を磨く、とかそういったことと同じ、各家庭の“習慣”じゃないかと思います。
例えばお友達と旅行に行ってお風呂上がりにスキンケアをしている時、「そんなことをしているの?」とお友達のやり方にビックリしたりすることもあるでしょう?
スキンケアは各家庭のしつけ・習慣だったり、流儀というところが大きいと思っています。

今思えば・・・私の場合は、物心ついた本当に小さな頃から、“習慣”としてスキンケアをしていました。
(なんと幼稚園生の時には、すでにスキンケアを習慣化していたそうです!!)
母からのしつけのようなものでした。

私は京都の出身なので、これは京都ならではの文化かもしれないのですが、「女性は存在そのものが大事なもの。だから大事にケアするのが当たり前」という考え方なんですよ。(ちなみに東京ご出身の方にリサーチしたところ、「女性たるもの、ちゃんとお化粧をして外出しなくてはならない!」とのことだったそうです。)

男性は全身をせっけんで洗っていても、女性は全身を高級洗顔料で洗っていたりするんです!私が覚えている限り、子供の頃からそれが基本でしたね。
体を洗った後には必ず全身をぬか袋で磨くように、と。そして、お風呂あがりには全身にローションをつける。これが当たり前だと教えられていたから、幼稚園生の頃には自分でやっていたと思います。
その前は、母がつけてくれていましたが、化粧品も母が使っているローションを使っていましたね。歯磨き粉やシャンプーと同じ感覚です。
中学生位になると、自分で好きなローションなどを買うようになりました。ローションは毎日使う歯磨き粉のようなものだったので、周りの友達もみんな当たり前のように、自分の好みのローションを持っていたりしました。
“お風呂”は、体にローションを塗るというスキンケアまでを含むものだと思っていたんです。

子供の頃から「ケアやお洒落」することは当たり前だと思っていました。

近藤:本当に子供の頃から、いとこのお姉さんがメイクをしているのを見たり、母から洋服とハンカチの色は揃えた方がいいと教えられたり。近所に住んでいた叔母が、「もう小学生なんだからパーマでもかけたらかわいいわよ!」と言って、パーマ反対派の母と言い合いをしていたこともありました。(笑)
ケアや美容はごく普通に、日常的にいたるところにあったと思います。自分自身はまだ子供だから、「女性はキレイにしなくちゃ」なんて、特別にはもちろん思っていないのですが、「ケアやオシャレ」は当たり前のことだと思っていました。
中学生になるとニキビとか出来始めたりするのですが、ニキビがひどい時は体育の授業を休んで見学している子もいましたよ!汗をかくとニキビが悪化するから・・・とご両親から申し入れがあって、先生も当然のこととして認めていました。
(「私の学校の生徒だけかもしれないですけどね!」とおっしゃっていましたが、インタビュアーには本当に衝撃的なお話でした!)

子供の頃から、そういったスキンケア意識でしたね。
そんな同級生に先日同窓会で会ったのですが、“おばさん”になっちゃったな、と思った人はあまりいなかったですね。劣化していなかったです!(笑)
(近藤さんも、ビューティ業界では、“年齢不詳”と言われています。)

TDS:今京都のご出身ならではのお話をお伺いしましたが、他に何か、京都のしきたりや、モノのとらえ方、人との接し方など、文化の違いも含めてびっくりしたことなどありましたか?

近藤:これは私の出身校の考え方なのかもしれないのですが・・・
大人になって男性にビールをつぐような女になっちゃいけない、そんなお酌をするような安い女になってはいけない、なんてことを教えられたんです。だから、社会人になってビールのつぎ方もわからず、飲み会の席では本当に困りました。社会人としては、上司の方や同僚にお酌をするのは当たり前ですよね? そのギャップに驚きました!
私たちの頃は、そんな教えがありましたが、今はどうでしょうか?

あと東京に出てきて1番びっくりしたこと。
これは同郷(関西)の知り合いなどにちゃんと裏をとりましたが、「ブス」という言葉がかなりひどい“けなし言葉”だということ。これには本当にビックリしました。

東京では、「私ってブスで・・・」と言うと、「そんな卑下しなくてもいいじゃない?」、かわいそうにと慰められる。でも関西では、「ブス」という言葉自体、そこまで悪い言葉とは捉えられていないと思います。「ブス」という言葉は、背が高いとか低い、とか、あくまでその人の特長の1つ、たくさんある要素のうちのほんの1つ、という捉え方なんです。
背が高いほどえらいわけでもなく、また背が低かったらまずいわけでもない。
例えば容姿が平均的な美の基準からはずれていても、それはその人間の特長の1にすぎないのだから、全然大したことない!と。関西ではそういう捉え方をしていると思います。

そうそう、東京では、性格ブスとか、「ブス」という言葉はいろいろな意味で使いますよね?でも関西では、ブスというのは容姿のことのみを指すんですね。関西でブスというのは、容姿が大したことない、という意味で、本当にそれだけの意味しかない。性格が悪いことは、「性格が悪い」とだけ。
「ブス」という言葉は、褒め言葉ではないけれど、そんなに悪い言葉ではないという受け止め方ですね。どちらかと言うと、家の愚妻が、家のベイビーが、と同レベル、同じニュアンスですよ。

だからこそ、逆の言葉の「美人」や「キレイ」という言葉も、よく使われていると思います。「あの人キレイだし好き」、なんて、私もよく言いますよ。「ブス」も「美人」も特長の1つでしかないですからね。

これは、本当に、顔のことだけを「キレイ」だって言っていることなんですね。人柄とか他の要素には何ひとつ含まれていないコメント。いたって明確でしょう?
容姿について、「キレイだ」の「ブスだ」のとコメントすると、東京では「ひどい!」と思われるかもしれませんが、本当にそのポイントについてしかコメントしていないんですよ。
この違いは興味深かったですね。

美容業界の成長とともに、私たちもライターとして、ジャーナリストとして一緒に成長していった・・・

TDS:そんな見解の違い、おもしろいですね!!
さて次はお仕事についてお伺いできればと思います。幼少の頃からスキンケアを当たり前にされていた近藤さんですが、今の美容ジャーナリストになられたきっかけはなんだったのでしょうか?

近藤:実は・・・私たちがライターを始めた頃、同世代のライターで初めから美容専門だった人はいなかったんですよ。時代とともに、スキンケアやコスメについて詳しい情報発信ができるライターのニーズが増えて、それに向いていたタイプに仕事が集中し、専門的な知識を蓄えていった。それが今の“美容ジャーナリスト”なんです。

80年代の終わり位から、それこそ、美容やスキンケアというカテゴリーは、爆発的に大きくなったマーケットなんですね。その時にいろいろな技術革新があって、例えばヒアルロン酸が作られるようになったり、ターンオーバーの仕組みが分かってきたり、UVAが肌には悪いのではないか、と立証されたり・・・
一般的に、皮膚科学やいろいろな科学的根拠、今では当たり前のこととされていることが判ってきたのは、ちょうどその頃だったんです。

そして私たちライターも、時代とともに様々なスキンケアの知識を、10年20年かけて覚えていったんです。化粧品の進化とともにひとつひとつ覚えていったので、全く苦とは思わず、次々と知識を蓄えることができました。

そして今では、コスメやスキンケア特集と同様に美容外科の特集もよく目にされるようになりましたが、90年代頃からやっと少しずつ美容外科が身近な存在になって、実はその頃初めて、一般誌で美容外科を記事にしたんです。
まだその頃はドクターからピーリングの説明をされても、実際のところよく理解できなくて、それこそ「え?酸で顔を溶かすの?」っていう感じでした。ケミカルピーリングができる化粧品なんて開発されていなかったので、理解できるわけがないんです。そんなことで肌がきれいになるなんて思えませんでした。

時代背景としては以前は美容クリニックというと芸能人とか特殊な職業の人がこっそり通ってこっそりきれいになるという、ちょっとダーティーなイメージがあったんですが、80年代からアメリカでは美的医療としてステイタスが高まってきていたんですね。それで、私と同世代の日本の美容外科医や皮膚科医が米国に留学し、その方たちの影響で日本の美容クリニックもずいぶん変化したし、そして取材をする私たちジャーナリスト相手にも、ちゃんと皮膚科学や根拠などを説明をしてくださいました。
それ以前には美容クリニックはあまり多くなかったし、一般のドクターは、あくまで対患者さんの治療が中心ですから、取材を断られることも多かったので、本当にニューウェーブだと思いました。その頃のドクターには、もちろんまだ現役の方もいらっしゃいますよ!

本当に美容業界は急成長をとげていると思います。
美容業界の成長とともに、私たちもライターとして、ジャーナリストとして一緒に成長していった・・・
医学的な理論とか専門知識を勉強するのも楽しかったんですね。それが今現在の仕事につながっているのかな?と思います。

私自身、「若返りたい」とは思わないのですが、自分の変化と上手につきあいたいと思います。

TDS:やはり女性にとっては、“アンチエイジング”は永遠のテーマだと思うのですが、近藤さんが考える“アンチエイジング”とはなんでしょうか?

近藤:年をとる、年を重ねる、ということ。
これは率直な気持ちですが、本当に、本当に難しいと思っています。
若い頃は、自分が50代になるなんて思っていなかったんですね。今の自分の年齢は想定外なんです! 20代の頃、自分から見た「シニア」は、35歳位の年齢をあてはめていた気がします。(笑)

そして現在、想定外の年齢の自分になったわけですが・・・
私には子供の成長(例えば、小学生になった、大学生になった、というような)で時間の流れを感じることもなく、自分自身はいつまでも10代20代の時と同じ気分なんですよね。だから、「どういう風に年をとりますか?」と問われても正直なところ判らない。本当に難しいテーマですね。

女性は、子供の頃から徐々に体が変化し、成長して成人となりやっと完成、と思ったら、今度はボディラインが重力に負けてゆるんできたり、白髪が増えたり・・・。それまでは女性として美しく完成していったのに、ある時からは下り坂のように、老化して質がどんどん悪くなっていくイメージ。

自分のピークが例えば25歳だとして、その時の自分こそが自分だと思っていたのに、意思に反して、どんどん若さはなくなり質が落ちていく・・・それがエイジングということですよね。そのエイジングを無理にくいとめようとすることは、本当に大変なことだと思っています。

私自身、「若返りたい」とは思わないのですが、自分の変化と上手につきあいたいと思います。

でも例えばですが、実年齢は40歳だけど、いろいろな何かによって肉体年齢が35歳だったら5年間を儲けた感じ、その分ゆっくりと人生を進める気がします。

また、気持ち(内面)と外見の年齢がぴったり合う時って、一生のうちそんなにないんじゃないかと思うんですね。内面と外見、追い越したり追い越されたり・・・。ぴったり同年齢にする必要はないと思うのですが、あまりにかけ離れてしまうと、自分自身そのギャップがつらくなってしまうと思うんです。
自分自身はすごく若い気持ちでいるのに、外見が衰えを隠せない、とか、逆に考え方や意識はとても落ち着いているのに、外見は子供っぽい、とか。どちらもつらくなってしまうのではないかと思います。

ただ現在は、内面と外見、ともにうまく折り合いをつける方法が豊富にある。化粧品もそうだし、医療もそうだし、社会生活もそうだし・・・。これは、いろいろな意味ですごくラッキーなことだと思うんですね。

年齢を重ねているからこその素敵さもあるので、私は特別若返る必要はないと思うのですが、自分の気持ちがつらくならない程度の外見にするために、スパでも化粧品でも美容医療でも、今はさまざまな手段があるので、それを利用するのもよいのでは?と思っています。

女優の江波杏子さん、美しく年を重ねていて、とてもかっこいいですよね!!

Part 2に続く〜

近藤須雅子さん プロフィール
美容ジャーナリスト
講談社を始め、数々の媒体で美容記事の連載をもつなど幅広く活躍。化粧品の商品開発や広告、書籍の編集など、マルチな活動を続けている。スキンケア、メイクアップ、ヘアケアなどオールジャンルの美容知識と鋭い切り口で定評がある。